『マーラが与えた人生』 (百万本のバラの原曲)
 
    
 
 
 『百万本のバラ』の原曲は1981年、ラトビアで生れました。
 作曲:Raimonds Pauls、作詞:Leons Briedis。
 
 歌詞は、大国の占領下で(スウェーデン,ポーランド,ドイツ,ソ連)永年、
 出口の見えない抑圧を耐え忍んできた民族の
 心の奥底からこみ上げる嗚咽、言い知れぬ悲哀、嘆きの壁、諦念、虚しさ、・・・。
 聖母マーラとラトビア民族とが、苦難と悲哀の歳月を共に歩んだ、母子の関係で詠い上げられている。
 
 聖母マーラへ、祈り捧ぐ うたごえ。
 
 やさしい語り口で、魂にしみ入るように、・ ・ 。
 

 
 『マーラが与えた人生』の歌詞

子供のころ泣かされると
 母に寄り添って
 なぐさめてもらった
 そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

時が経って、もう母はいない
 今は一人で生きなくてはならない
 母を思いだして寂しさに駆られると
 同じ事を一人つぶやく私がいる
 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

そんなことすっかり忘れていたけど
 ある日突然驚いた
 今度は私の娘が
 笑みを浮かべて口ずさんでいる
 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
 
  
首都リガ
 
 
 世界一美しい国、と言われ、「バルト海の真珠」と讃えられ、旧市街は世界遺産に登録された 現在の首都リガ
 
 『マーラは1991年、ラトレアに独立を与えたけど幸せはあげ忘れた』
 
 諸問題をかかえた国の現状は、そんな感じではあるが、
 
 この美しい曲の生れたラトビアの
 
 真の復興が未来に約束されていることを信じたい。
 
 
 追記:
  
 諸問題をかかえているのは、どの国も同じこと。
 愛があれば、・ ・ と、
 ラトビア人と結婚されて移住された方のブログです。
 
 『ラトビアへ嫁に行くか』 
 http://blog.latvian-style.main.jp/?month=200908
  歌詞:近藤 朔風(こんどう さくふう)
 
童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
  清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ
   紅(くれない)におう 野なかの薔薇

手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇
  手折らば手折れ 思出ぐさに
君を刺さん
   紅におう 野なかの薔薇

童は折りぬ 野なかの薔薇
  折られてあわれ 清らの色香(いろか)
永久(とわ)にあせぬ
    紅におう 野なかの薔薇
 
  

 
 童=子供が見つけた 野原の中に咲くばら、・ ・ ・
 
 素朴で古風なことばと美しく流れる旋律は、
 
 こころの深いところで思い出となって
 
 いつしか、自分の一部となって
 
 刻み込まれ、それが
 
 なんらかのきっかけで、思い出されて
 
 現実と折り重なって、また記憶化されて
 
 思い出の一部を形成していく。
 
 きっかけは、今から12年ほど前にテレビドラマとして放映された『僕の生きる道』の再放映の一部を3日ほど前に見たことでした。
 
 そのドラマを構成する主要な合唱曲として、この曲が使われていた。
 
 『愛と別れ』がテーマのドラマに、この曲が使用されたのでした。
 
 私が小学校でくり返し合唱した曲なので、古い記憶層で思い出化され、
 
 自分の一部となっていたものが、揺り動かされるようにして
 
 現実と融合する形となったのです。
 
 昔の記憶としては、歌詞の意味など教えられることも考えることもなく、
 
 単に与えられた曲を歌っただけの経験でした。
 
 今、歌詞を見ると、野に咲くバラは、
『手折れて行かん』、とする
『君を刺さん』、とするバラなのに気がつくのです。
 
 では、 そのバラを手折ったのは誰か?
 バラが刺さんとした君は誰なのか?
 ということになります。
 
 ドイツ歌曲「野ばら」の歌詞は、以下の通りで、
 日本の歌詞よりも意味がはっきりと伝わります。
 
   少年が見つけた小さな野ばら
とても若々しく美しい
   すぐに駆け寄り間近で見れば
 喜びに満ち溢れる
    バラよ 赤いバラよ 野中のバラ
 
   少年は言った 「君を折るよ」
野ばらは言った 「ならば貴方を刺します
    いつも私を思い出してくれるように
 私は苦しんだりはしません」
      バラよ 赤いバラよ 野中のバラ
 
   少年は野バラを折った
野バラは抵抗して彼を刺した
    傷みや嘆きも彼には効かず
 野バラはただ耐えるばかり
     バラよ 赤いバラよ 野中のバラ
 
     

 ドイツのゲーテの詩に、曲を付けたり歌詞としてアレンジしたものですが、150を超えるといわれる作曲の代表がシューベルト、ヴェルナーとなります。
 
 今から245年ほど前に作られた詩なので、当事者以外は精確なところは誰にも分からないはずですが、
 
 この詩の成り立ちは、一般にそれらしく伝えられてきています。
 当時学生だったゲーテに手折られたバラ、そのゲーテを刺さんとしたバラのお名前までが、
 ゼーゼンハイム村の牧師の娘フリーデリーケ・ブリオンだと。
 彼女がその後の生涯を独身で過ごしたということも。
  
 私がいつの日か、ゲーテに会ったとしても、彼を好ましく思って話しかけるとは限らず、まして、そのバラとのお付き合いについて尋ねたりすることはあり得ず。
 
 何も考えずに無邪気に歌っていたころの
 古びた校舎とピアノ、出遭ったバラ、・ ・ ・
 私の合唱曲としての『野ばら』。
 そして、ひとりの女性の運命と、
 悲哀の旋律が織り重なった
 手折りて往かんとする『野ばら』。
 自分の思い出は自分自身のものとして、
 たいせつにしていきたいと思います。 
 
 
それから、テレビドラマの『僕の生きる道』。
 余命1年が宣告された若い教師の生き方と死に方が描写されています。
 放映されてから12年と言う歳月が経過しました。
  
 私はまだ、余命を医師から宣告されてはいません。
 ただ、あいまな余命が宣告されている状態、といえるかも知れません。
 余命の生き方と死に方は、人ごとではない、と感想を抱きました。
 
 ばくぜんと、12年前後、とした場合でも、
 そんなに遠い未来ではなさそうです。
 
 人間を人限と書いてみたくなるような、・ ・ 。
 
 オプションの限月は、一ヶ月の区切りですが、
 時間が限られているところ、残存時間が価格として換算されているところ、それが近づいてくるところ、最後に消滅するところが、とても身近に感じられます。

 生き方としては、限られているからこそ、たいせつにできるのだと受けとめて、
 動ずることなく、生きることにしたいと思っています。
 
 
 追記 ; 今週は、期近がSQという区切りを迎える週となります。
      加えて、先週末より為替と株価指数が変動含みで、
      レンジも方向性も判断が難しいと考えています。
  
     相場に対しては、相当な距離を保つことと、
     リスクの低減を保つこと。
 
     静観を第一に考えて、
     流すような気持ちで臨みたい、
     と思っています。
      
 
 
               

 
 
 
 
            とおい ひの うた
 
 
 人はただ 風の中を   迷いながら 歩き続ける

その胸に はるか空で   呼びかける 遠い日の歌


     人はただ 風の中を   祈りながら 歩き続ける

    その道で いつの日にか   めぐり合う 遠い日の歌


  
 
 
  いまから、およそ 335年ほど前に
 
  生れた
 
  とおい 日の うた
 
  クラシックな カノンの旋律に のせて
 
 
  いまから、およそ 33年ほど前に
 
  生れた
 
  岩沢千早 作詞、 橋本祥路作曲の
 
  この とおい ひの うた
 
 
 
    もしかして
 
    おもいで は
 
    とおい はるかな 日々を こえて
 
    共有される のかも知れない と
 
 
    なぐさめを 得た
 
    音楽の散歩道での
   
    ひと とき
 
 
 
          Celtic Music 動・躍動リズム系
 
       
 
 
           Celtic Music 静・癒しリズム系
 
        
 
 
     Celtic Women CW5 
 
  
 
 
     
    水平線上に浮かぶ 月とおだやかなその光
  
  静やかに奏でられる名曲の調べに
 
   こころ安らぐ 休息のひとときが 与えられますように

 
                   (Didier Merah ;ご提供)
   
 
   
 
      りらっくす ・ モード 
 
    おやすみの日は こんな気分で
 
 
    

 
 
  
 
 
           別府葉子・東京コンサート

      
 
 
 別府さんのコンサートが、東京で開かれます。
 ぬきちは楽しみにしているのですが、金曜日なので市場が開いていて、
 参加が微妙です。
 ルーテルホールはルーテル派の教会で、今も礼拝堂として使われているはずです。
 席はゆるやかな傾斜があって、
 場所としては都会の喧騒のただ中に位置していますが、
 中は、歴史の重厚さに裏打ちされたしっとりとした安らぎの感じられる空間です。
 
 関東では、その魅力的な歌声とあたたかいお人柄に生で接する機会など、めったにありません。
    

       András Schiff Plays

・ ・ クラシカルな 夢見ごこちで
・ ・ ひとときの やすらぎを
  戦争孤児となった少女とお友だちの少年の物語。
愛犬の手作りの葬送から始まり、自分たちの手で秘密の場所に小さな墓地作りをしていく。
他の墓地の十字架を持ってきたり、・ ・ そこには、大人の常識では計れない子供の考えや行為があり、戦時下で子供が生きることの脆さ、はかなさ。
 純朴な子供の感性が捉えた戦争の情景が、哀切なメロディが奏でられる中に描写されていく。
  
   

ちなみに、
ぬきちはこの映画をまだ、観たことがありません。

鉄道員 
                 
 
                    
  Alida Chelli [ アリダ・ケッリ ] - Sinno me moro 
 


 
 
       
   1959年のイタリア映画 「 刑事 」 の主題歌
 
 
 
 
  
   
 
 音楽は、時間を忘れさせてくれる、
    時間だけでなく、
 かなしみも、くるしみも、よろこびも
   何もかも、追憶のかなたへと ・ ・ ・
 
 50年後に、
  懐かしく 聴く曲のあることを
追憶のかなたから、
  呼び起こして くれる
 
  こころに響く 歌声は、
つい昨日、聴いたかのよう

 
 
        The Rainbow Connection
               

 
 
Yesterday Once More  (歌詞)
 
私が若かった頃  よくラジオを聞いていた  お気に入りの曲が流れるのを待ってて  それが流れるとよく一緒に歌ってた  思い出すとつい微笑んでしまうの

すごく幸福なときだった  それにそんなに遠い昔じゃない  なんでそんな思い出を探し回ってたんだろう  でも今は私の元に戻ってきた  長い間会っていなかった友達のように  私がすごく好きだった歌たちが

Every「シャラララ」  Every「wo-wo-wo」  今も輝いてる  Every「シングリングリン」  心地よく歌が流れ始める

別れてしまったとき  心を痛めた場所  どの思い出も私を泣かせる  ただ昔のように  過去をもう一度

時がどうやって過ぎていったかを  振り返ってみる  そして過ごしてきた素晴らしい日々が  今をむしろ悲しくするの  あまりに多くのことが変わってしまった

私がそのとき歌ったのは  愛の歌だったのよ  全ての言葉や古いメロディーを  全部覚えたの  今でも私には素晴らしく聞こえる  時の彼方へ溶けてしまったけれども

Every「シャラララ」  Every「wo-wo-wo」  今も輝いてる  Every「シングリングリン」  心地よく歌が流れ始める

全ての最良の思い出が  私の元にはっきりと戻ってきた  いくつかの思い出は  私を泣かせさえするの  ちょうど昔のように  過去をもう一度

Every「シャラララ」  Every「wo-wo-wo」  今も輝いてる  Every「シングリングリン」  心地よく歌が流れ始める



 
 相場の方は休場で、・ ・ 。
 
 先週は、気ばかり張り詰めていた気疲れがあるので、
 
 明日にかけてゆっくり休み、気晴らしをしたいところです。